神宮参拝の正しい方法 オピス講座
最初の鳥居を境に、俗界から聖界へ足を踏み入れることになる。大きな声で騒ぐのはタブー。

神域全体は禁煙。喫煙は定められた場所のみ。必ず守ろう。

参拝の前に、手水舎(てみずしゃ)で禊(みそぎ)をする。
まず、ひしゃくを右手に取り、左手を洗う。次に、ひしゃくを左手に持ちかえて、右手を洗う。 もう一度ひしゃくを右手に持ち、左手に水を受けて、口へ持っていき、手でかくしながら口をすすぐ。
これで神さまの前に出てもいいようにお清めが済んだことになる。 ひしゃくは伏せて置いておこう。

正宮(神さまのいるところ)へ着いたら、いよいよ参拝。まず、姿勢を正したのち、二度深く最敬礼。身体を起こして両手をパンパンと2回打ち鳴らす。 そしてもう一度、最敬礼。これで参拝を終了したことになる。 「2礼2拍手1礼」と覚えておけばいいだろう。




お抹茶(薄茶)のいただき方 オピス講座
まず姿勢を正そう。お菓子が出されてからお抹茶を飲み終えるまでのあいだはきちんと正座。腰掛けの場合は、膝をそろえて真っすぐ背を伸ばす。

お給仕の人がお菓子・お抹茶を運んでくれたら、軽く頭を下げて礼をする。「いただきます」という合図だ。

最初にお菓子をいただく。一口で口に入る大きさにして、こぼしたりしないように。食べかすが出たら見苦しくないようにまとめておく。

お菓子を食べ終えたら、お抹茶をいただく。右手で茶碗を取り、左の手のひらに乗せる。軽く目礼したら、右手を使って時計回りに静かに、茶碗を回す。はじめ向こうにあったポイントを右のほうにずらすわけだ。お抹茶は3口か4口で飲み切るようにする。飲み終えたら、右手の親指と人差し指で茶碗に口をつけた部分をなぞって清める。はじめとは逆に時計の反対回りに茶碗を回し、静かに置く。

以上が略儀の作法。固苦しく考えずにおいしくいただければいいのだが、礼儀だけは知っておいていいだろう。出す側と出される側の一期一会といわれるお茶の世界。歴史の深い旅先の町でのほっと一息つける時間になるはずだ。




なぜ、伊勢に神宮が? オピス講座
伊勢神宮内宮の祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)。日本古来より神々の中でも最高位の神であり、天皇家のご祖神である。
なぜ天照大御神が伊勢の地に鎮座されたのか、歴史をひもといてみよう。

今から2000年以上も前のこと、国内に疫病が流行して多くの人が死んだ。時の崇神天皇が天照大御神に祈り、一時は疫病を静めたがそれもまた再び不穏になった。そこで次の垂仁天皇の代になってから、天照大御神が安らかに平和な国を導いてくれることを願って、永遠に鎮座する土地を探すことになった。
天皇は皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)を御杖代(みつえしろ)として送り出した。御杖代とは、神の意にしたがって杖(つえ)の役目をする者のことである。

倭姫命は、大和、近江、美濃の国をめぐり歩いたが、「ここ」という神の声は聞かれなかった。そして、伊勢の国に入り、五十鈴川のほとりまで来たときついに「この美(うま)し国に居(お)らむと欲(おも)う」というご神託の声を聞いた。
その年、西暦紀元前4年。以来2000余年、天照大御神は伊勢の神宮に祀られているというわけだ。

五十鈴川は現在でも神宮の森の中を清らかに流れている。そのほとりに立ってみると、安住の地として伊勢を選んだ天照大御神の心に寄り添うような気持ちになれる。歴史の話はむずかしい…と思う人でも、きっと五十鈴川の清らかさには心打たれる何かを感じることだろう。




「お伊勢さん」には125もの神社がある オピス講座
「お伊勢さん」と呼ばれる伊勢神宮は、ひとつの神社だけのことをいうのではない。合計125の神社の総称が伊勢神宮。正式名称は神宮といい、日本各地の氏神さまを代表する総氏神さまだ。

125社は、正宮2社、別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社42社から成り立っている。それらの社は伊勢市だけでなく、近郊の二見町や小俣町、玉城町、志摩の磯部町、やや離れて大宮町にまで点在するなど、広大な規模を有している。

正宮2社は、内宮(ないくう)と外宮(げくう)。内宮は太陽の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)を、外宮は衣食住すべての産業の神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)をまつっている。
この2社を参拝するときは、必ず外宮を先に参拝し、それから内宮へというのが正式なお参りとされている。

正宮2社のもとに以下123社がある。
別宮14社は、正宮と関わりの深い意味を持つ格の高い神社。
摂社43社・末社24社は、土地の神々をまつる神社をはじめとして、内宮鎮座の際に定められた神社、外宮鎮座の際に定められた神社などから成る。どの神社も1000年以上の歴史をもつ由緒ある神社だ。
所管社42社は、神宮の御料や祭典に関係する神さまをまつっている神社。

内宮外宮のように広大な神域をもち深い森に包まれているお宮だけでなく、街の中の小さなお宮まで、そのすべてが神宮。昔々のロマンを求め、125社めぐりをする人も多い。



伊勢神宮1500回の祭 オピス講座
伊勢神宮では、1年間に1500回もの祭が行われる。祭といっても、各地の夏祭のように盆踊りを踊って夜店がにぎわってというものとは違う。
神宮の祭は、神さまへの感謝、国の繁栄、人々の幸せを祈る、古式ゆかしい厳粛な祭である。

1500回もの祭の半数を占めるのが、毎日朝夕神さまに食事をお供えする祭。日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)と呼ばれるこの祭だけで、1日に2回、1年間で730回行われる計算になる。

年間を通じて最も重要なのは、三節祭といわれる3つの祭だ。10月の神嘗祭(かんなめさい)と6月・12月の月次祭(つきなみさい)が三節祭で、なかでも神嘗祭はその年に収穫された穀物を神さまにささげる祭として重要度が高い。

人々の暮らしに密着した稲作に関係する祭も多い。
モミまきをする神田下種祭、田植えをする御田植初式、風日祈宮(かざひのみのみや)では天気を祈る。そして熟れた稲穂を刈り取る抜穂祭。いずれも豊作を願い、豊作に感謝する祭、つまり人々の幸せに直結する祭としての意味をもっている。

これらの祭を見学したいと思う人も多いだろうが、実際に見学が可能なのは次の祭だけである。
  神楽祭(かぐらさい)    4月上旬と秋分の日
  神御衣祭(かんみそさい)  5月14日と10月14日
  神嘗祭(かんなめさい)  10月15日〜17日
  新嘗祭(にいなめさい)  11月23日
古式にのっとった厳かな祭を見学するのは貴重な体験とともに、旅のよい思い出になることだろう。



神さまに仕える人は600人 オピス講座
伊勢神宮では現在約600人もの人々が神さまにお仕えしている。どの人も心をこめて神さまに仕えている様子から、伊勢では昔から「神、おわしますがごとく」と言い表わされてきた。
神道の基本は清らかさ。奉仕する人の立ち居振る舞い、まなざしに出会う機会があれば、清らかな心が伝わってくるにちがいない。

神職といわれる人の中で、最も位が高いのが神宮祭主。天皇が1人の人を定めるきまりになっている。
続いて、大宮司と小宮司各1人、祢宜12人、権祢宜20人、宮掌40人、出仕30人、このほかに神楽舞の奏者である楽長、楽士、楽士補の人々がいる。
巫女さんは、正式には舞女、神宮では舞姫と呼ばれる。白の衣に緋の袴の舞姫の姿は、神宮の森の中で一段と清らかさを誇る。



神さまの衣がえ オピス講座
毎年5月14日と10月14日に行われる神御衣祭(かんみそさい)は、神さまの衣がえの祭である。
この祭にあわせて布を織るのは奉仕団の人々。絹布は神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)で、麻布は神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)で織られる。

絹布の奉仕団は松阪市東黒部町の女性たち。絹糸は愛知県三河地方で紡がれたものを使う。
麻布の奉仕団は松阪市井口中町の男性で、4名ずつが順番に織子を務める。麻糸は奈良県月ヶ瀬村のものを使う。

こうして毎年春と秋に、神さまの衣は新調されるのだ。




神さまのお食事 オピス講座
神宮では毎日朝夕、神さまに食事をお供えする。これは、日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)と呼ばれる祭だが、一般の人は見ることはできない。

神さまの食事・神饌(しんせん)の係である神職の人は、前夜8時から身心を清める潔斎(けっさい)をする。白い衣を着て、湯を浴び、おこもりに入る。
翌朝5時起床。再び身心を清めたのち、忌火屋殿(いみびやでん)という神さまの台所に向かう。
調理は、昔ながらの方法で木と木を摩擦して火を起こすことからはじまる。食事の内容は、米を蒸した御飯(おんいい)、御塩(みしお)、御水(おんみず)、魚介、海草、野菜、果物など。そのすべての材料は神宮の自給自足である。
米は神宮の神田(しんでん)で収穫、塩は二見町にある御塩浜(みしおはま)で古代の製法のまま海水から作り、水は神宮の森の井戸から、野菜果物も神宮の御薗(みその)で栽培したものだ。
貴重なお供えとされているアワビは鳥羽市の国崎(くざき)で捕れたものを使う。

1時間半かけて調理を終えたあと、神職たちは朝食を取り、神さまに食事を運ぶための装束に着替える。その姿は平安時代にタイムスリップしたかのような白い衣と冠。冬は午前9時、夏は午前8時、お食事を神さまの食堂である御饌殿(みけでん)へ運ぶ。このとき少しだけ、厳かに参道を進む神職の姿を一般の人も垣い間見ることができる。

朝の食事をお供えしたあと、またすぐに今度は夕の食事の準備がはじまる。夕の食事は冬は午後3時、夏は午後4時にお供えする。
夜間、特にお祭りがなければ、これで神宮の一日が終わることになる。
1500年ものあいだ続けられてきた神さまへのお供えは、神宮の文化である。



神さまの住まい オピス講座
伊勢神宮内宮・外宮の神殿は正殿(しょうでん)と呼ばれ、いずれも唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という建築様式になっている。
ヒノキの白木造りで、屋根は茅葺き、棟持柱が左右中央に建てられ、床下の真ん中に心の御柱がある高床式の建物だ。

棟に並んでいる丸い鰹木は、外宮9本、内宮10本となっている。
さらに、屋根からツノのように飛び出している千木は、外宮が地面と垂直の断面なのに対して、内宮は地面と水平の断面になっている。
また、手すりのような高欄の上に乗っている据玉と呼ばれる五色の宝珠の数が、外宮は31個なのに対して内宮は33個になっている。
建物自体の大きさも外宮より内宮の正殿のほうが大きく作られている。

だが、残念なことに、庶民はこの正殿を見ることができない。正殿を拝むことができるのは、天皇陛下と神宮祭主だけなのだ。
いかに神聖な建物であるかということは、正殿が位置する正宮が四重の塀で囲まれていることからもうかがえる。
外側から順に、板垣、外玉垣、内玉垣、瑞垣となっており、一般の参拝客が入れるのは2番目の外玉垣の前まで。正殿の全容を見ることはできないが、神々しい気持ちを抱くことはできる。

立地的にも、外宮正宮は平地にあり、内宮正宮は山の斜面にあるという違いがある。
趣きの違うお参りをするためにも、ぜひ外宮内宮の順で両宮参りをしてみることをおすすめする。



神に仕えた斎王 オピス講座
今から2000年余の昔、伊勢の地に神宮が祭られた。 伊勢神宮は国家の政治を祈る聖なる宮となり、大神に弊を供えたり祈りを捧げることが許されているのは天皇ただ一人であった。しかし、当時の天皇は京の都にあり、その代わりとして斎王の制度が生まれたのである。

歴代天皇は未婚の皇女または王女の中から占いによって一人を選び、大神に仕える斎王として伊勢に送った。斎王は天皇に代わって神宮での最も大切な祭、三節祭に奉仕した。

この斎王制度は約660年間続き、74人の皇女(王女)が斎王に選ばれた記録がある。

斎王の住まいであった斎宮寮は明和町(伊勢市の隣り)にあったとされ、国史跡であるその地には斎宮歴史博物館がある。また現在も史跡の発掘が続けられている。




斎王群行 オピス講座
天皇に代わって伊勢神宮に仕えた斎王が、京の都から伊勢に赴く旅を斎王群行といった。

占いによって斎王に選ばれた皇女(王女)は、まず京の宮中、そして郊外の野宮(ののみや)で潔斎の生活に入る。

選ばれてから3年目の9月、いよいよ京の都を離れ伊勢へと向かう。
輿(こし)に乗った斎王には数百人規模の官人官女が付き従い、途中、頓宮(とんぐう)と呼ばれる宿泊所に泊まりながら、5泊6日の旅路であった。難所の鈴鹿峠越えでは女官の乗った牛車が進まず、大変な苦労をしたらしい。
旅の困難もさることながら、斎王の胸中はいかなるものであったろうか。
当時の姫は生まれた館から一歩も外へ出ることなく暮らすのはもちろんのこと、立ち上がることさえはしたないとされていた。顔はもとよりその姿を人前にさらすことなく、常に扇で顔を隠し、御簾越しで人に接していたのである。
それが天皇に選ばれその代わりを務めるためとはいえ、都を離れて見知らぬ土地へ行くのである。泣き濡れて旅路を進む斎王が想像できる。
また、これからは神に仕えるのだという晴れがましさに身を震わせていたことだろう。

斎王の物語は伊勢神宮の歴史を知るうえでも欠かせない史実である。かの源氏物語の中にも斎王は登場する。




やまとなでしこの姿にドキッ オピス講座
伊勢神宮の神楽殿(かぐらでん)で見ることができる神楽舞。これを舞う舞姫たちは、18〜23歳の若き女性たち。白い衣に緋色の袴、髪をうしろでひとつに束ねた姿は清楚で美しい。
雅楽にあわせて優雅に舞う姿もステキだが、舞い終わった女性たちが連れ立って神宮の森の中を歩いていく姿には、ハッとするあでやかさがある。
舞いの練習のほかにも、茶道や華道、礼儀作法も学ばなければならない彼女たちこそ、現代の日本には少なくなってしまった本物のやまとなでしこ。紅白の姿にドキッとするかも?



海女さんはなぜ白い磯着を着るのか? オピス講座
志摩の海では海女漁が盛んで、毎年4月頃から9月中旬までの漁期を磯の口開けと呼んでいる。
海女さんと聞いて思い浮かぶのは白い服に白い頭巾。これは、白い色が嫌いなサメから身を守るため、また難から逃れる魔除けの色ともいわれているため。命がけで仕事をしているわけだから、志摩の海女さんたちはこのしきたりをずっと守っている。
体温の低下を防ぐためにウェットスーツを着た上で磯着を着る人もいるが、カラダが楽なぶん、ついつい乱獲になってしまうので、ウェットスーツは着ないと決めている海女さんが多いという。



伊勢海老はなぜ高いのか? オピス講座
伊勢海老といえば正月のお飾りとして目にすることはあっても、食べるとなると高値の花。これは、養殖はおろか放流用の種苗(稚エビ)の生産もまだ研究段階であるためなのだ。安価に流通する養殖モノと違い、伊勢海老は100%天然モノ。それ故、お値段も高いわけだが、グルメには見逃せない食材であることは間違いない。
伊勢海老漁は秋の彼岸のころから4月までと決められていて、夕方に網をかけ、夜明け前に引き揚げに行く刺し網漁が中心だ。この期間、志摩の漁村では昼間に網を広げて干すため、浜全体が色鮮やかな赤い色に染まり、伊勢海老漁の活気でにぎわう。



伊勢海老を育てる技術 オピス講座
伊勢海老は人工飼育の技術が確立していないゆえに、天然物しか食べることができない。だが、その人工飼育の研究はすでに明治時代から始められているのだ。

人工飼育下で孵化した伊勢海老はクモのような形をしたフィロゾーマという幼生になる。それから親エビの形になるブエルルス(通称ガラスエビ)を経て、稚エビ、親エビへと成長していく。孵化から漁獲できる大きさになるまではだいたい3〜4年かかるらしい。

卵から孵化までの技術はわりと早い時期に確立されたが、問題は幼生の時期であつた。
約1年間ある幼生の期間中の適した餌を見つけるのが大変だった。さらに長い手足が病気になりやすかった。

しかし、ついに1988年5月、浜島町にある三重県水産技術センターが幼生から稚エビに成長させることに世界で初めて成功した。

とはいえ、まだまだ量産体制への道は遠い。
孵化した数十万匹のなかから数百匹を抽出して、そこから稚エビになったのは17匹というのが現段階での技術。今後はさらに、飼育水温や光の条件、注水量調整などシステム作りが課題だという。

伊勢海老が人工飼育され、安い価格で流通するのはまだまだ先のこと。
天然の伊勢海老はまさに大自然の恵みだ。



伊勢海老の知られざる生態 オピス講座
日本に分布している伊勢海老は、太平洋側は千葉県以南、日本海側は長崎県以南に棲息している。
水深10〜30メートルの岩場を住みかとし、夜行性のため昼間は岩のすき間などでじっとしていて、夜になると餌を求めて出てくる。
月の明るさも嫌うらしく、満月の晩は伊勢海老は動かないともいわれている。

伊勢海老が好んで食べるのはウニや貝類など。
貝は貝殻ごとバリバリと食べてしまうらしい。
これは伊勢海老が脱皮をして成長するために大量のカルシウムを必要とするからだという説がある。
伊勢海老は30年近くも生きるというから、甲殻類としては長命なほうだ。

伊勢海老の天敵はタコ。
あの長い手足で岩穴に潜んでいる伊勢海老を引きずり出し、身動きできないようにからみついて食べてしまうという。

この習性を利用した伊勢海老の伝統漁法がある。
棒の先にタコをくくりつけて伊勢海老のいる穴に近づけると、伊勢海老は驚いて穴から逃げ出す。
そこを網で捕らえるという漁法だ。
だが、この漁法を守っている漁師ももう少ないという。
今は刺し網漁が主流だ。



伊勢海老の旬 オピス講座
伊勢海老の禁漁期は6月から9月にかけて。
これはこの時期が伊勢海老の産卵期にあたるからで、資源保護の意味から禁漁となっている。

さて、伊勢海老のオスとメスはどこで見分けるのだろう。
それには2つの方法がある。

まず、お腹を見る。
オスには紺色のヒレのような小さな腹肢が左右1枚ずつある。
メスには薄茶色の大きなヒレが左右2枚ずつついている。
この大きなヒレでメスは卵をかかえるのだ。

もうひとつの見分け方は、いちばん尾に近い足を見る。
オスは1本の突起。
メスは二股に分かれたハサミのような形をしている。

メスは一度に数十万個の卵を産むという。
産卵を終えたメスは体力を消耗しているので、身が痩せている。
それが秋の間に体力を回復し、冬になると身も肥えてくる。
伊勢海老がおいしいのはお正月をはさんだ4〜5ヶ月といったところだろうか。

だが、生け簀システムも整った現在では、禁漁期でも、春でも秋でも、年間を通して伊勢海老を食べることができる。
伊勢志摩を訪れたら、やはりぜひ伊勢海老を食べてみたい。



なぜ伊勢の海老なのか オピス講座
節足動物 甲殻網 軟甲亜網 十脚目 長尾亜目 イセエビ科 イセエビ・・・・・

これが伊勢海老の正しい学術名である。

そもそも、なぜ伊勢の名前が付けられたのか。
その昔から、イセエビは高貴なお方に献上される食材であったという。
京の都へ運ばれるイセエビのほとんどが伊勢の国で水揚げされたものだったことから、伊勢の海老・・・が転じて伊勢海老と呼ばれるようになったらしい。

伊勢海老はピーンと張ったヒゲや立派な姿かたちから、おめでたい食材とされている。
加熱すると真っ赤になることも、縁起のいい色としてもてはやされている。
また、エビ類は長寿のしるしともされている。
めでたいこと尽くしだ。

そのめでたさに加えて、お伊勢参りのありがたさもある。
昔人にとって、伊勢という地には格別の思い入れがあったようだ。
神おわします地、神宮へのお参り、命あることの感謝・・・・・
そんな気持ちが伊勢海老の姿にも重ねられたのかもしれない。



伊勢海老を買うのなら オピス講座
贈答品やお土産に伊勢海老を、というのは、味がいいからだけではない、縁起物としての品格もあるのだ。
縁起物だから、ヒゲは折れていてはいけない。足が取れていてはいけない。
伊勢海老の流通にかかわる人は、ヒゲと足をとても大切に扱う。

だが、もし自分の家で食べるために買うのなら、ヒゲが折れていたり、足が取れていたりしても構わないはずだ。
そんなときは、お店の人に交渉してみよう。
伊勢海老は大きさや重さのほかに、ヒゲや足の状態も値段に加味されるので、そういうことを気にしなければ、少しはおまけしてもらえるかもしれない。

伊勢海老を購入したら、けして17度以上の温度に放置しないこと。
伊勢海老は17度以上になると脱皮の準備を始めるので、そうなると格段に味が落ちる。

通常、販売される伊勢海老は20〜25センチくらいのものが多い。
それ以上大きなものもあるが、食味のよいのはほどほどの大きさのものだ。
重さとしては300〜500グラムといったところ。

伊勢海老は生きたままオガクズに埋めて販売される。
調理法の説明書やビデオなども一緒になっている商品があるので、さばき方がわからないときはそういうものを利用するといいだろう。

家庭で食べるとき、いちばんおいしいのは刺身だろう。
ミソの残っている殻で味噌汁を作るのが、伊勢海老の味を最大限に味わう秘訣。



伊勢志摩風、アワビのおいしい食べ方 オピス講座
伊勢海老の漁期と入れ替わりで、春4月から秋まで獲れるのが志摩のアワビ。ガッシリと岩に張りついているため、網で獲るというわけにはいかず、もっぱら海女さんによる漁である。
息の続く限りの素潜りでアワビをさがし、磯ノミという道具で一気にアワビを岩からはがす。一度失敗するとアワビはテコでも岩から離れなくなり、それを海女さんたちは「アワビを怒らせてしもて、どもならん」と言う。
このアワビ、刺し身で薄切りにしてあるのをコリコリしておいしいという人もいれば、固くて好きじゃないという人もいる。それならぜひ一度、伊勢志摩ならではのアワビ料理の数々にトライしてみるべし。
和風なら酒蒸しやしょう油味で柔らかく煮含めたものを。洋風なら、バター焼き、ステーキ、マリネ漬けなど。アワビは固いものと思い込んでいる人はきっと驚くはず。
伊勢志摩の旅館やホテル、個性的なレストランでは、それぞれに工夫を凝らした絶妙のアワビ料理が食べられる。



カキは海のミルク オピス講座
鳥羽と志摩を結ぶパールロードが通る浦村や的矢はカキの養殖で世界中に有名なところ。フランス人のグルメたちも、伊勢志摩のカキといえばおいしいカキということを知っている。
浦村の生浦(おうのうら)湾や的矢湾は、カキの成長に欠かせない植物性プランクトンが豊富で、潮の干満とともに湾内の水が大量に入れ替わるという好条件も備えている。さらに、無菌清浄方式という方法でカキの内臓の汚れを取り除くシステムを採用しており、生でも安心して食べられるカキとしてその名を広めている。
カキはRのつく月(9〜4月)が食べ頃といわれるが、なかでも最も滋味の豊かなのは寒さの増す冬。ビタミン・ミネラル・鉄分ともたっぷりで、栄養価の点で牛乳の何倍もの数値になり、海のミルクと呼ばれる。



松阪牛を食べずして、伊勢志摩を語るなかれ オピス講座
輸入ビーフ全盛の時代だけれど、国産牛に有名なブランドいろいろあれど、やはり伊勢志摩では「牛肉」といえば松阪牛である。サシと呼ばれる脂が網目状に広がった見た目の美しさもさることながら、舌の上でとろける柔らかさは、まさに味の芸術品だ。
松阪は伊勢の北西、まつざかではなくまつさかと読み、地元ではまっつぁかと呼ぶ。
松阪牛は厳密にいうと松阪生まれの牛ではなく、兵庫県の但馬(たじま)牛の子牛を選び抜いて連れてきたものを松阪で育てるのである。この飼育地域も、伊勢の北西を流れる雲出(くもず)川と伊勢の市内を流れる宮川の間と決まっており、さらにその地域で6ヶ月以上飼育された処女牛という厳しい定義もある。これらの条件をすべてクリアし、体重600kgほどに育った牛だけが晴れて松阪牛として出荷されるのだ。
厳選された飼料と散歩、日光浴、マッサージと手間ひまをかけ、食欲増進のためにビールを飲ませるという松阪牛は、セリにかけられ1000万円もの値がつく高級和牛である。その味は・・・伊勢志摩へ来て、ぜひご賞味ください。



伊勢うどんって、何? オピス講座
伊勢の街で「うどん、ください」と注文すれば、出てくるのは伊勢うどん。
普通の汁うどんとは似ても似つかず、初めて伊勢うどんを見た人の多くが「何、これ・・・」となるはず。
それもそのはず、極太のふにゃりとしたうどんが真っ黒いタレの上に乗っているだけ。薬味はネギのみ、お好みで一味唐辛子といたってシンプルなうどんだ。

伊勢は神宮参拝の旅人とともに発展してきた町。
旅人の空腹を満たすべく、昔のファーストフードたるうどん、すし、うなぎ、まんじゅう、もちの店が多いのにも納得できる歴史があるのだ。

古くは17世紀、伊勢の海運業者は当時のベトナムの日本人町との朱印船貿易で栄えていた。その品物には、煮干しやかつおぶし、醤油など伊勢うどんの材料も含まれていたという。さらにベトナムには今でも伊勢うどんによく似た麺料理があるという。

伊勢うどんのルーツがベトナムなのか、はたまたベトナムの麺料理のルーツが伊勢なのか、どちらが正しいのかはさだかではないが、そんなことをあれこれ考えながら、ズルズルと伊勢うどんをすするのも楽しいかもしれない。




真珠の重さ オピス講座
御木本幸吉が真珠の人工養殖に世界で初めて成功したのが、明治32年の鳥羽の海。

世界中の女性の首を飾ってみせる、と豪語した御木本幸吉の言葉の通り、日本の真珠はやがて世界中の女性のあこがれになったという。

その真珠の宝石業界での計量単位とされているのが「匁(もんめ)」。
1匁3.75グラムで、外国でも「mom」と表示される世界共通の単位だ。日本独自の流通単位に全世界が従ったという例はほかに類を見ない。それほど日本の真珠は特別のものだったのだろう。

昭和34年に尺貫法が廃止されて以来、一間一尺一寸などが建築業界で使用されているくらいになってしまったが、真珠の「匁」だけがこうして生き残っているというのも、御木本幸吉の業績のひとつではないだろうか。




真珠の効能 オピス講座
真珠の粉は中国では「珍珠」と呼ばれ、れっきとした漢方薬になっている。
かの楊貴妃も真珠の粉を飲み、さらに真珠の粉で肌を磨いていたらしい。

漢方薬のバイブル「本草網目」には、肌に潤いを与え、シミやシワを消し、皮膚を再生し、顔色を良くし、精神安定作用や解毒作用もある、と記されている。
クレオパトラは、ブドウ酒に真珠の粉を溶かして飲んでいたそうな。

真珠はその90パーセントが炭酸カルシウムからなり、ほかはアミノ酸などの有機物と水分で構成されている。アミノ酸には20種類以上もの成分が含まれ、なかでもコンキオリンアミノ酸が身体にいいものだという。

コンキオリンアミノ酸は良質のタンパク質で、保湿成分を含み、皮膚を構成するコラーゲンとよく似た物質だ 肌や髪に潤いとつやを与えることから、化粧品やシャンプー、リンスなどに真珠粉末を加えたものも多い。 また飲用すれば血液をサラサラにするといわれ、高脂血症の人の中性脂肪を減らす効能も確認されている。

真珠の主成分である炭酸カルシウムは人間の身体にとって吸収しやすいカルシウムで、カルシウム補給の効能も見直されている。骨のためはもちろん、カルシウム不足によるイライラや不眠症にもいいらしい。

これだけの効能がある真珠・・・身につけてうっとりするだけでも効果抜群だが、美容と健康にも一役買ってくれる小さな輝きだ。




伊勢万金丹の今昔 オピス講座
万金丹(まんきんたん、萬金丹とも書く)とは丸薬の総称で、胃痛、腹痛、解毒、気つけ、そのほかの諸症状に効く便利な薬のこと。
その万金丹は古くから伊勢でもさかんに製造販売されていた。

昔は手軽な薬局などない時代、家庭での常備薬といえば越中富山の置き薬が主流だった。年に一度ふろしき包みを背負った薬屋さんが訪れ、一年間に使った薬の代金を受け取るとともに新しい薬を補充していく。そんな光景を覚えている人ももうわずかではなかろうか。
車などない時代、徒歩で家々を回る薬屋さんは必ず子供たちのためにおみやげを持参したという。おみやげには紙風船が人気だったようで、子供たちも年に一度訪れる薬屋さんを心待ちにしていた。

伊勢の万金丹は江戸時代に伊勢神宮おかげ参りがさかんなころ、伊勢みやげの代表的なものとして喜ばれたという。
明治維新によって西洋医学が登場するまで、伊勢の万金丹は全国の家庭や旅の常備薬としてもてはやされていた。
当時の伊勢には、小西万金丹、野間万金丹、山原万金丹、岩城万金丹などがあった。

現在でも小西と野間の両万金丹が営業を続けている。

小西万金丹薬舗(伊勢市八日市場町)は延宝4年(1676年)創業の老舗。
現在の建物は明治初期に改築されたものだが、江戸時代そのままの姿をよく伝えた伊勢地方特有の切り妻造りの建築様式を見ることができる。

小西万金丹薬舗では販売とともに建物の見学もさせてくれる。
昔の旅人さながらに万金丹をおみやげにというのも、伊勢らしい趣向かもしれない。




伊勢の古い街並を見てノスタルジックに オピス講座

伊勢神宮を中心として発展してきた伊勢市は歴史のある町。古い家並を眺めながら散策してみると、なぜかなつかしく、ノスタルジックな気持ちになる。特に、伊勢市のなかでも戦災をまぬがれた河崎町には独特の家や蔵が残り、ムード満点。
伊勢の家々は、切妻屋根の妻側に入り口をとる切妻妻入り造りが特色。板張りの昔ながらの家は少なくなったが、ところどころに古い家を見つけると伊勢らしいしっとりとした風情を感じることができる。そういう家では壁には赤土を塗り込めてあり、これが断熱材の役目をしている。
勢田川に沿って水運業で栄えた河崎町の商店は、川に入り口を向けて蔵が建てられている。船から荷を上げるため蔵は川の水面ぎりぎりの高さに建てられているため、川のほうから見ると3階建て、蔵を通り抜けた反対の道側からは2階建てに見えるのがおもしろい。




伊勢で道をたずねるときの心得 オピス講座
伊勢に来て地元の人に道をたずねると「次の世古(せこ)を右に・・・」と教えられるかもしれない。世古とは路地のこと。家と家のあいだの道が両方から迫りあった細い道なので「迫(さこ)」から語源の発する方言だ。
伊勢神宮への道をたずねると「げくさんは・・・」「ないくさんは・・・」という言葉が返ってくる。げくさんは外宮(げくう)さん、ないくさんは内宮(ないくう)さんのこと。伊勢の人は神宮の両宮を親しみを込めて、さん付けで呼ぶ。
お年寄りに道をたずねたらきっと「どこから来なさった? それはそれは遠くからよう来てござった。気ぃつけておいなはいよ」とやさしい声が聞けるかもしれない。



なせ注連縄(しめなわ)が一年中あるの? オピス講座
伊勢志摩を訪れた人がみんな不思議に思うのは、お正月でもないのに家々の玄関に注連縄がかかっていることだ。
棒状になったワラから、これもまたワラでスカートのような束が下がり、白い切り下げが垂れている。真ん中には門符(かどふだ)という木札がついており、そこには蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんのかもん)と書かれている。
これは二見の松下社に伝わるスサノウノミコトの伝説による言葉で、疫病などの災いから家を守る魔除けの意味が込められている。文字はそのほかにも笑門や千客万来などの種類があり、いずれも悪難を避けて福を呼ぶ意味が込められている。
伊勢志摩の家々や商店、会社の入り口には、玄関飾りと呼ばれるこの注連縄が一年中かけられており、毎年正月が近くなると新しいものに代え、前年のものは正月の15日までに神社へ返す慣例になっている。
無病息災を願うこのならわしは、きっと21世紀になってもつづくだろうこの地方の風物詩のひとつだ。


伊勢志摩の方言 オピス講座
旅先で土地の方言を耳にして「え? どういう意味?」と思うことがよくある。
伊勢志摩の方言を使って、旅で出会うかもしれない話し言葉の実例をご紹介。。。

さ、こっちに「おいない」(いらっしゃい)


ようけ」(たくさん)歩いて「えらい」(疲れた)やろ

風呂いりないな」(お風呂に入ったら?)

げくさん」(外宮)に行ったん?

ないくさん」(内宮)に行ったん?

上着はここに「つるくす」(吊る)とええよ

おちん」(おやつ)に「食べない」(食べたら?)

やらかいで」(やわらかくて)「うまいやろ?」(おいしいでしょ?)

ほったる」(捨てる)ゴミあったら出してな

近頃の若い人は「きょんきょん」(痩せている)やなあ

なっとな?」(何?)

なっとしょう・・・」(どうしよう・・・)

おじいさんは「数いっとる」(歳を取っている)で隠居や

おたい」(私)は「だだくさ」(おおざっぱ)でいかんわ

そんなん「べぇーや」(いやです)

うちの孫はなかなか「かしかい」(賢い)で自慢や

じっと」(いつも)さぼってばかりや、「あん」(あの)人は

お湯が「ちんちん」(熱い)かもしれんで気ぃつけてな

よさり」(夜更けまで)やっとる店は少ないでな

今日は上天気でおひさんが「あばばい」(まぶしい)

朝ごはんの間にふとんを「たとむ」(たたむ)でな

ええかん」(いいですか?)

あめる」(腐る)といけんで魚は最後に「買いい」(買いなさい)

かざ」(匂い)かいでみたらわかる

古い建物のほうは「やぶったった」(壊した)

牡蠣殻を「いろたら」(さわったら)手ぇ切るでな

今し」(今)出たらちょうどええ時間や

雨続きで「ごうわく」(腹が立つ)なあ

「ささって」(しあさって)からは「ぬくとう」(あたたかく)なるよ
「ささって」を(あさって)の意味で使う人もたまにいますので、ご注意を!

寒くて「さむつぼ」(鳥肌)立っとる

海入るにはまだ「ひやかい」(冷たい)やろ

風邪ひくといかんでちゃんと「ふとん着て」(ふとんかけて)

おわえて」(追いかけて)無理したらいかん

あらくたい」(荒っぽい)運転せんと気ぃつけてな

道が「つんどる」(混んでいる)

こんな「がいな」(大きな)車、運転「ようせん」(できない)

けった」(自転車)借りたらええんとちゃうか

駅の「ねき」(近く)に駐車場あるで
おおきんな」(ありがとう)





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